マネーの虎の生みの親[栗原甚]が明かす! 難攻不落の社長たちと吉田栄作を口説き落とした舞台裏!

目次
企画の誕生
伝説の人気番組「¥マネーの虎」とは
一般人の志願者が新しいビジネスの事業計画をプレゼンし、虎と呼ばれる5人の社長に出資を求めるという内容。
今までにない企画の斬新さが人気を博し、司会者である吉田栄作の「ノーマネーでフィニッシュです」と「マネー成立です」という決め台詞は当時一世を風靡した。
強烈な個性を持つ5人の社長たちが登場し、リアルな真剣勝負の会話が繰り広げられた。
放送から20年以上経った今なお、熱狂的なファンが絶えない。
人気は国内だけにとどまらず、その後、米国や英国など世界35ヵ国で現地版のマネーの虎番組が制作された。
マネーの虎を企画した日本テレビの栗原プロデューサーは、いかにして社長と吉田栄作の出演を口説き落としたのか。
世界的なヒットコンテンツ誕生の舞台裏を栗原甚プロデューサーが語る。
伝説の人気番組「¥マネーの虎」誕生のキッカケは?
深夜枠で低予算だったため、豪華なセットも作れない。そうなるとトーク番組しかありません。
それならいっそのことタレントの代わりに一般人を起用するトーク番組が作れないかと考えました。
一方トーク番組といっても熱いものがやりたかった。深夜だからって静かな番組を作る必要はないと思っていました。
低予算で番組制作は厳しい環境でしたか?
どんなに面白い企画でも、やはり予算がないと断念せざるを得ません。
でも僕は発想を変えて、予算がないから誰かお金を出してくれるスポンサーになってくれないかなと考え始めました。
むしろ、番組予算を自分に投資してもらうのではなく「お金はないけど、アイデアはある人」がお金持ちから大金を出してもらい夢を叶える。
それっていいなと思い番組のアイデアが膨らんでいきました。
素晴らしい企画や才能はあるんだけお金が無く事業を始めたくても出来ない人たちが、社長さん達から出資を受けてジャパニーズドリームを掴む番組です。
社長の出演承諾
マネーの虎に出演した社長はどのような基準で選んだのですか?
最初は大企業の社長さんに出てもらうと思い300社以上に声を掛けましたが全員に断られました。
なぜだろうと思い調べてみたらあることに気づきました。
「上場企業では株主の許可を取らずに、社長が自由に会社のお金を投資できない」という事実です。
そこで方針を180度変えてワンマン経営をしている社長を探しはじめました。
未上場会社であり決定権を持っているオーナー社長です。
出演のギャラ・交通費・宿泊費はゼロで番組企画に賛同してくれる社長を探しました。
ノーギャラで出演してくれる社長を探すのは大変だったのでは?
もしも番組を実際に見てもらえれば出演承諾をもらえたのでしょうが、まだ番組が放送されていないので、なかなか理解してもらえませんでした。
3ヵ月以上、毎日毎日出演交渉をした結果ついに5人の虎が集まりましたが、普通の人なら1ヵ月くらいで諦めていると思います。
たぶん世界中を探せば、同じような投資企画番組を考えた人がいたかもしれませんが、実現するまでに途中で諦めてしまったのではないかと考えます。
社長にとって「デメリット」が圧倒的に多かったのですが、それを「メリット」に転換させる【口説きの戦略図】を使って出演交渉したので、難攻不落の社長たちを次々に口説くことに成功しました。
事前に準備をしっかりして交渉に望んだのですね?
社長は大変忙しく、東京以外の地方に住んでいる社長さんは出演に宿泊も伴います。
それを解決するために、出演する社長は当時「5人のレギュラー体制」で予定していましたが、その計画もやめました。
当時はなかったAKB48のように、出演する社長のメンバーを増やして、それぞれ時間がある時だけ参加してもらうシステムに変更しました。
堀之内社長は、僕が「実は、ノーギャラなんです……」と伝えると「ギャラなんか、いりませんよ。深夜番組だから、お金ないんでしょ。スズメの涙みたいなギャラをもらっても仕方ないです。いつも帝国ホテルに泊まっているので、自分で払うから大丈夫ですよ」と笑っていました。
虎のなかでも一番凄いと思った社長はどなたですか?
ソフトオンデマンドの高橋がなり社長です。
当時アダルトビデオが凄い儲かっていて、番組で一番投資してくれました。しかも、投資を決める基準が独特なんです。
テレビ局的には「アダルトビデオ会社の社長が、テレビに出るのはマズいのでは?」という意見も出て、上層部から呼び出され「ちゃんとした会社なのか?本当に大丈夫なのか?」と事情聴取をされましたが、中野区で2番目に多く税金を納めている優良企業である事実を出して社内を説得させることができました。
通常、テレビ番組というのは放送していくなかで改良を重ねていき、ベストに近づけて行くものなんですが「僕は本当に運がよかった」と感じています。
今思うと放送1回目にベストな布陣が揃っていたんです。
超個性的な、堀之内社長・高橋社長・小林社長・加藤社長・川原社長の最強の5人です。
すごい準備をして全国を東奔西走したからこそ、非常に完成度の高い番組としてスタートしました。
初回と最終回で、まったく番組の内容も構成も変わっていないのは、正直凄いことです。
だからこそ今でも世界中で番組が愛され放送され続けているのだと思います。
すごい準備
誰でもできるけど、誰もやっていない成功のコツ!
栗原甚 著
吉田栄作の出演承諾
俳優・吉田栄作を司会者として口説き落とした舞台裏を栗原プロデューサーが語る!
マネーの虎のMCを吉田栄作さんにオファーした。
しかし残念ながら、断られた。
普通であればそこで諦めてしまうが、【口説きの戦略図】を使って戦略を立てていたからこそ、何度も出演交渉を続けることができた。
どうしても口説きたい相手がいる場合には、是非参考にしていただきたい貴重なエピソードです。
頭の中で思い描いていた理想のキャスト
深夜番組「マネーの虎」の企画が通った時、僕の中で番組MCはすでに決まっていた。
提出した企画書のキャスティング案にも、その名前をしっかりと書いていた。
そう、僕が「マネーの虎」の象徴的存在にしたかったのは、俳優・吉田栄作さんだ。
だから企画書が通った直後、すぐに出演交渉のオファーをした。
吉田栄作さんの所属事務所に電話を入れ、企画書をFAXで送ったのだ。
数日後、担当マネージャーから電話がかかってきた。

瞬殺された。
まさか、こんなにも簡単に断れられるとは…
本当に、あっけなく断られたのだ。
しかし、僕のなかでは「マネーの虎」の番組MCは、吉田栄作さんしかいない。
番組を成功させるためには、俳優・吉田栄作でなければならない、という勝利の方程式ができていた。
だから、出演オファーを断られたあとも「断られてしまった…」と落ち込むのではなく毎日考え続けていた。

俳優・吉田栄作にこだわる理由とは?
僕が吉田栄作さんを起用したかった理由は、いくつもある。
まず「この企画を、ただのバラエティー番組にしたくなかった」からだ。
当時、番組MCなら「人気司会者の島田紳助さんがいいのでは?」という意見が多かった。
しかし、僕のなかでは「一番ありえないのが、島田紳さん」だった。
誤解してほしくないが、決して島田紳助だんが嫌いなわけではない。
僕は島田紳助さんがMCを務めた「行列のできる法律相談所」の立ち上げメンバーだったし、紳助さんが「マネーの虎」の司会をすれば、面白くなることは簡単に想像できた。
しかし、それではテレビSHOWになってしまう。
僕が作りたかったのは「今までにないリアルなトーク番組」だ。
トークと言うと語弊があるかもしれない。
筋書きのない、ヒリヒリするような討論。
視聴者が「このあと、どうなってしまうのだろうか?」とドキドキするような生々しい番組だった。
僕は「エンターテイメントとしてのショーアップする演出は、一切するつもりがなかった」のだ。
つまり、志願者と社長たちの「真剣なやりとり」を見せる、ドキュメント性の強い番組にしたかった。
志願者はテレビに出演すること自体が、はじめての素人だ。
大物社長と大金を前にすると、うまくプレゼンできない者もいる。
頭が真っ白になってしまい、沈黙する者もいる。
しかし番組は、すべてそのまま放送した。
実際に、番組が放送されると「真剣なやりとり」や「リアルすぎるドキュメント」は、またたく間に話題を呼び、深夜番組でありながら、高視聴率を連発した。
「僕の狙いは、間違っていなかった」と証明されたのだ。
2回目の出演オファー
話は戻るが、吉田栄作さんの所属事務所には「バラエティーの司会などやったことがない」という理由で断られた。
しかし、僕はどうしても諦めきれず、なんとかして「もう一回、出演オファーしたい!」と心の中で決めていた。
それと同時に、吉田栄作さんに出演を承諾してもらうために、いろいろな「戦略」も立てていた。
1週間後、僕は、同じ事務所で働いている知り合いのマネージャーに電話を入れた。

数日後、知り合いのマネージャーから連絡がきた。
しかし、またしても同じ回答だった…。
2回目のオファーも断られてしまったのである。
断りの理由は、同じだった。
ちなみに「1回目の返答も、担当マネージャーの判断ではなく、本人の意向だ」という。
そりゃそうだ。
吉田栄作さんくらいのクラスになれば、出演オファーが来たら、いったんは本人に伝える。
もし断る予定の案件でも、一度は本人に相談するという手順を踏むものだ。
あきらめない理由は「あるエピソード」
僕は疑問に思っていた。

今振り返ると、自分はなんてポジティブな性格なんだと思う。

と考えていた。
つまり企画意図さえ伝われば「吉田栄作さんは、絶対に番組に出演してくれるはずだ」と確信していたのだ。
なぜなら僕には「あるエピソード」から裏付けされた自信があったからだ。
実は、吉田栄作さんに出演交渉する1ヵ月ほど前、企画書を提出する前に「吉田栄作とは、どんな人物なのか?」ということを徹底的に調べていた。

という不安があった。
そんな彼の性格や人柄を知りたくて、今までに仕事をしたことがある人や事務所の関係者に、徹底的に取材しまくったのだ。
その結果、僕は【吉田栄作という人物像】を、頭の中でハッキリとイメージすることができた。
だから直接会って話さえできればと信じていた。

理由は、吉田栄作という人物は、この番組にぴったりな人間だったからだ。
もし僕が吉田栄作なら、絶対にこのオファーを受ける… そんな確信があった。
だから、知り合いのマネージャーを通じて相談したのだ。

もし、そのチャンスを作ってもらえなければ、吉田栄作さんの出没する場所に直接アポなしで突撃しよう、とさえ思っていたくらいだ。
俳優・吉田栄作の人物像とは?
事務所の関係者を徹底的に取材した結果、あるエピソードを聞き出すことに成功した。
俳優・吉田栄作という人間を理解できる、貴重なエピソードである。
ある時、吉田栄作さんに仕事のオファーが、2つ同時に舞い込んだ。
1つは、連続ドラマの主役。
もう1つは、単発ドラマの脇役だ。
連ドラは、ありがちなラブ・ストーリー。
単発ドラマは、とても質の良い原作ものだった。
出演料は、連ドラだと1話500万円。1クール10話やれば5000万円になる。
一方、2時間の単発ドラマは脇役なので、50万円。
出演料だけを比較しても、天と地ほどの差がある、この2つのドラマ。
でもこんな時、吉田栄作さんは迷わず、単発ドラマを選ぶそうだ。

そう言って、作品性で選ぶという。
高額な出演料5000万円には目もくれず、50万円の仕事を選ぶ。
彼は、そんな男だという。
事務所としては、出演料が高いほうが良い。
できれば連ドラをやってほしいに決まっている。
しかし、俳優・吉田栄作は、決して出演料では選ばない。
自分が演じてみたい役かどうかで仕事を選ぶのだ。
そんな吉田栄作のスタンスを認めている、所属事務所も素晴らしい。
僕は、このエピソードを聞いて、ますます吉田栄作が好きになった。
「そういう人間なら、絶対にこの企画に乗ってくれるはずだ」と確信したのである。
しかし、2回目のオファーも断られた。
僕は戦略ルートを探し続けた。

懲りずに3回目の出演オファーをすることに決めた。
いざ、3回目の出演交渉へ
再度、担当マネージャーに電話を入れた。

すると数日後、意外に返事が返ってきた。


なんとか、本人に会う機会を作ってもらえたのだ!
最初の出演オファーの電話を入れてから、実に3週間が過ぎていた。

言うまでもなく、力が入った。
マネージャーの粋な計らい
当時、吉田栄作さんが所属していた事務所は、表参道から徒歩1分の立地になる6階建てビル。
受付を訪ねると、5階の打ち合わせフロアに案内された。
吉田栄作さんは、他のフロアで、別件の打ち合わせをしているようだ。
30分後、本人が現われた! この時、吉田栄作さんは「正式に断る」という表情をしていた。
初対面だが、そういう意志を感じた。
マネージャーさんは、同席していない。
それに気づいた僕は、やった状況を理解できた。

マネージャーの粋な計らい。
今、僕の目の前には、吉田栄作さんご本人が座っている。
1対1、サシでの話し合い。
こんな機会は、最初で最後だ。
だからこの後、僕は全力で、吉田栄作さんを口説いた。
ここからは、吉田栄作さんと僕のやりとりの一部始終をご覧いただきたい。
まさに、1対1の「¥マネーの虎」が始まる
僕は開口一番ぶつけた。

吉田栄作さんは即答した。

僕は、すぐ否定した。

すると吉田栄作さんは切り返した。

そして、僕がFAXで送った企画書のコピーを取り出し、テーブルに置いた。
僕は、心の中でつぶやいた。

たしかに企画書の表紙には、しっかり「バラエティー」と書いてある。
誤解を生むのは当然だ。
しかし、こんなことで断られたくない…。

と返した。
そしてこう続けた。



すると、吉田栄作さんは答えた。

たしかに取材で知り得た、俳優・吉田栄作という人間は、お金に執着しない。

そう思った。

僕は、次から次へと、吉田栄作さんの質問に答えた。
「吉田栄作さんの不安を取り除いていった」という表現のほうが合っているかもしれない。
しかし、吉田栄作さんの意志は変わらない。

それに対して、僕はこう答えた。



すると吉田栄作さんは聞いてきた。

僕は、彼の目をしっかり見て、話を続けた。










そのあと、しばらく沈黙が続いた。
僕は、伝えるべきこと・伝えたい想いは、本人にすべて伝えた。
これで断られたら、仕方がない。
ちゃんと諦められる… 清々しい気持ちだった。
すると、吉田栄作さんは、右手を出してきた。
次の瞬間、僕と吉田栄作さんは、固い握手を交わした。
そう、僕の執念の出演交渉が実ったのだ。