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【モンゴルタクシー】マネーの虎の志願者[辻康裕]のその後!1800万円マネー成立!

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辻康裕
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【実話】マネーの虎のその後!1800万円を受け取りモンゴルのタクシー事業をした男の半生!【マンガ動画】

 

モンゴルでタクシー事業を開業したい!

見事希望額1752万円を上回る1800万円を獲得した辻康裕(つじやすひろ)さんのマネー成立までとその後です。

番組出演当時の年齢は33歳。

モンゴルでタクシー会社を経営する夢を描いた辻さんは、モンゴル人ではなく純粋の日本人だ。

なぜモンゴルという異国の地でタクシー業を開業しようと思ったのか、なぜマネーの虎に出演しようと思ったのかについてこれから説明していきます。

 

辻康裕さんの日本での会社員時代

 

もともと辻さんは地方の銀行員だった。

しかし20年後30年後を考えると、自分の人生が見えてしまう。

海外で仕事をすることが昔からの夢だったので、夢を諦めきれずに入社から1年あまりで銀行員を退職してしまう。

しかし、現実は厳しかった。

退職から1年後、求人情報誌を見ながら銀行を辞めたことに後悔する。

そうは思ったが、やっぱり海外での仕事を諦めきれず、いい案がないか常に模索していた時、ひとつの考えが頭に浮かんだ。

「求人募集を待つのではなく、こっちから売り込まなくては!」

そしてある1社の人事課に履歴書を送った。

社員200名の雑貨の卸売りが本業で、ロシアや中国と貿易をしている会社だ。

しかし、1ヵ月経過しても向こうからの連絡は無く、こちらから電話をしてみた。

すると、現在人材は募集していないとの返事。

このままでは返事を待った1ヵ月が無駄になってしまうと思い、数分で構いませんからお会いして頂けませんかとお願いをした。

幸い承諾してもらい、翌日に専務と人事部長との面接が行われた。

そして面接は見事合格!中途採用されることになったのだが…

 

辻康裕さんのモンゴル駐在員時代

 

配属されたのは希望する海外向け部署ではなく物流部であり、倉庫担当としてパートの方と一緒にシャンプーやオムツの品出しが仕事という海外とは無縁の業務だった。

こんなはずじゃなかったのに…

しかし6ヵ月後に転機が訪れる。

ある日、モンゴル人の青年実業家が、モンゴルで初のスーパーマーケットを開業したいと言って会社にやって来た。

その彼の手伝いで翌月からモンゴルに赴任することになる。彼の名はバトトルガ氏。のちにモンゴル大統領になった人物だ。

2021年現在、第5代モンゴル大統領として現職である。

決心してモンゴルに行ったは良いが到着して唖然とした。

日本語は通じないし、英語ですらごく一部の人にしか通じなかったが、駐在員のため現地スーパーマーケットの従業員40人とコミュニケーションを取らなければならない。

やるしかないので、とにかく現地を歩いて、現地の物価・習慣・嗜好を吸収していった。

1つ1つモンゴルの言葉を覚えていった。

そしてある日、モンゴルはビジネスチャンスだらけであることに気付く。

モンゴルではメイド・イン・ジャパン神話はすさまじく、日本でありふれた商品がモンゴルでは宝物になった。

 

辻康裕さんの独立後から

 

仕事に明け暮れて4年が経った時、会社から日本に帰国せよとの辞令が降りた。

しかし、すでに気持ちは決まっっていた。

モンゴルで勝負してやる!!

会社を退職し、異国の地モンゴルで独立することになったが、期待していた銀行融資はどこも断られる。

お金が無ければ事業はスタートできない。

この時、モンゴル人の女性と結婚したばかリであり、その妻は妊娠していた。失敗することはできない。

どうすればいいのか… 夢に見るほど毎日毎日考えに考え抜いた。

するとある一つの考えが閃いた。

そうだ!モンゴルに来る日本人をお客さんとした観光案内なら資金ゼロからでも始められるぞ!

日本の旅行会社からお客さんを貰い現地で案内する。

その後お金が振り込まれたのを現地の運転手やホテルに支払う。

つまり、お金が無くとも事業を回せる!

長年馴染んだ貿易の仕事から、未経験の観光の仕事に切り替え、翌日から旅行会社を回ることにした。

観光事業の目論みは当たりお金は回った。

しかし、極寒のモンゴルの観光シーズンは夏だけで、秋冬春は観光客がゼロであった。

独立してから3年が経ち、客数も売上も増えていったが、年間を通して出来る商売はないかなと考える。

そうして考えたのがタクシー事業だ。

モンゴル人にとって車は高くて手が届かない。

車を買えないが欲しい彼らに自社の車をリースしてタクシー運転手として働いてもらう。

彼らは会社に毎月リース料を支払い、一定の金額に達するとその車は彼らにプレゼントするという仕組みだ。

モンゴルでの鉄道と言えば長距離鉄道しかなく、近くにを移動するためにはトロリーバスが主流だった。

しかしバス停は常に大混雑していて、タクシー需要も拡大していってる時代であった。

今後タクシー事業が認可制となる。車両台数を最低30台以上揃えること。これが認可の条件であった。

韓国から1台55万円の韓国車を30台輸入する予定であり、後は購入代金を用意するだけであった。

しかし、そんなお金は逆立ちしても出てこない。

そこで、モンゴルに来たことのある日本の社長さん達を訪ね、このタクシー事業の出資してもらうことにした。

6ヵ月間も歩いて周ったが、1円も出資してもらえなかった…

いっそのこと夏だけしか営業できない観光業も廃業して、日本でサラリーマンに戻ろうか…

赤ん坊を抱える妻や社員たちのことを考えると泣けてきた。

しかし、絶望の隣には、必ず希望が寄り添っている。

大切なことは、そこに気付けるかどうかだ!

街を歩いているとインターネットカフェがあったので、ネットを見て気晴らしをすることにした。

案内された席は綺麗に片付けられていたが、パソコン画面は前のお客が見たままになっていた。

なんだこれは!!

その画面を見た時、腰を抜かすほど驚いた。

マネーの虎!?

貧乏だが夢のある志願者募集中って…

これだ!これしかない!!

その場で迷わず応募した。最後の最後の賭けだった。

三日後、番組スタッフから今すぐ来れますかと電話がありオーディションに向かった。

なんと出演が決まり、後日5人の虎達の前でプレゼンすることになった。

 

辻康裕さんがマネーの虎出演で1800万円マネー成立

 

いくらを希望しますか?

「1752万円を希望します」

そのお金の使い道は?

「発展途上国のモンゴルでタクシー事業を始めたいと思っています!」

実は、前夜に母親に電話したら、あの番組だけは出演するのをやめてとお願いされた。

あなたが頑張ってきたことまで否定されるのよ…

全て終わってもいいの?

過去に数多の志願者が、番組内で獰猛な虎社長から罵声や難癖を付けられる様子を母親も視聴していたようだ。

挑戦しないと始まらない。そう思い気持ちやビジョンを5人の虎たちにありったけぶつけた。

そして、奇跡は起きた!

川原社長が600万円出資してくれて、その後加藤社長も600万円出資してくれた。

残るは552万円。

高橋社長は実際にモンゴルに行き現地視察後に残り全額を投資するかどうか決めるということになった。

 

辻康裕さんのタクシー事業成功

 

そして、モンゴル。

タクシー事業の売上5%をモンゴルでボランティアに使うことを条件に、マネー成立となった。

高橋社長は、加藤社長と川原社長と同じ金額の投資を希望した結果、希望額を上回る1800万円の投資となった。

本番はこれからだ。信頼してくれた三人の虎の気持ちを決して裏切れない。

30台から始めた車両台数も、最盛期には96台を稼働させるまで拡大し、海外で起業し成功する夢を叶えた。

毎年、事業の売上5%をモンゴルのボランティア活動に使い、しっかりと約束を守った。

しかし、モンゴル自体が発展したこともあり、2010年には白タクが90%になってしまい、許認可を受けたまともに営業しているタクシー会社は経営が困難になってくる。

辻さんは、飲食店なども手掛けるものの、自身が経営してた会社の事業を縮小・売却し、日本で政治家になるという次の目標を掲げ、家族を残し、単身帰国した。

 

辻康裕さんが日本の政治家になる

 

まずは秘書になって政治のことを勉強しよう。

でも政治家の知り合いは一人もいない。

思いつく限りの国会議員に秘書にしてほしいと履歴書を送った。

現実は厳しく、何ヶ月待とうとも、誰からの返信もこなかった。

当然と言えば当然であった。

何処の馬の骨ともわからない人間を雇う者はいない。

1年後、高橋社長と話をする機会があった。

政治家の秘書になりたいのなら当時凄い勢いで伸びていた大阪維新の会が良いと言う。

伸びてる団体や企業は、必ず裏方が不足しているとの理由からだ。

東京に拘る必要なんてなく、大阪で党職員や地方議員の秘書からでもいい。

タダでもやります。月10万円でもやりますと言えば、少なくとも話は聞いてもらえるだろうと言う。

 

なぜ、今まで気が付かなかったんだ!

とその言葉に衝撃を受けた。

絶望の隣には必ず希望が寄り添っている。

大切なことはそこに気付けるかどうかだ。

「大阪維新の会」メンバーに履歴書を送ると、ある一人から嬉しい連絡があった。

2ヵ月前に秘書を雇ったばかりで、僕のところは難しいけど、知り合いに声かけてみるよ。

そして紹介を受けたのが大阪市会議員に初当選した青年だった。

ちょうど1ヵ月後に秘書が退職するという。

諦めていた政治の道が開いた瞬間だった。

 

その市会議員の青年は瞬く間に出世を遂げた。

衆議院議員となり、市長となり、知事にまでなった。

そう、吉村洋文大阪府知事である(2021年現在)

辻さんは吉村知事の秘書として間近で支えてきた。

辻さん自身も2019年に神戸市市会議員に見事当選。

政治家として一歩を踏み出すことになる。

 

最後に

 

辻さんは言う。

自分の人生、変えるのは、

運命なんかじゃない。

自分自身の歩む意志だ!

人生は冒険。

大胆に挑め

 

 

恐れるなら、するな。

するなら、恐れるな。

~モンゴルの諺~

 

 

 

 

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