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【パン】マネーの虎の志願者[内村浩一]本人が出演当時とその後を語る!パンパンサラダパン!!

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パンパンサラダパン
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目次

【志願者だった人々#001[内村 浩一1/2]】パンパンサラダパン?!待望の元志願者が遂に凱旋!!

 

【裏話1】応募するまで「マネーの虎」を見たことがなかった!

【裏話2】働いていた店の開業資金が1億円だったので、希望額7000万円と高くなってしまった!

【裏話3】新しいモノだった故に社長達に意図が伝わらなかったと感じている!

【裏話4】堀之内社長も当時パン屋の事業もやっていた!

【裏話4】収録後の落ち込みで食べたご飯の味が覚えていないほどだった!

【裏話5】自身でお店のパン屋さんを開業して3年経営した!

【裏話6】マンツーマンで教えてくれる予約制のパン作り教室を現在やっている!

【裏話7】学校の先生になりたかった!

【裏話8】ダラダラした自分を追い込むためにパン屋さんになった!

【裏話9】豆腐屋が募集していたら豆腐屋になっていた!

【裏話10】パンを食べることは余り好きではない!

 

インタビュー内容

 

なんであの番組に応募したんですか?

 

年齢は29歳でパン業界に入って10年くらいでした。

僕はあちこちパン屋さんでパンを作ってて、「表現するパン」がショップで陳列するだけって現状に、僕としても限界だなと感じていました。

 

飽きたということではない?

 

ではなくて、もっと本当はいろいろとお客様に、製造工程とか時間が経ったパンも美味しいとか…

今ではもしかしたら当たり前かもしれませんが、パンの楽しみ方ってのが、結構買ったお客さん任せだったんですよ。

でも実はひと手間加えてあげたらもっと美味しくなったり、もっとお酒に合ったり、レストランとしてのバーとしてのパンがあるんじゃないかと思って、ちょっとこれ世の中に出してみようというような所で、ちょうど10年区切りだったので渡りに船だったんです。

 

やっぱりあの番組は好きで見てたんですか?

 

これがまた、全く知らなかったんです。

 

【裏話1】応募するまで「マネーの虎」を見たことがなかった!

 

たまたまテレビを付けた時に、ちょうどコマーシャルかなんかで募集かなんかをやってたんです。

何かを表現したいとウズウズしていた時期にちょうどあの番組を知りました。

 

へー、じゃあ他の志願者の番組を見たわけではなく、募集があったからそのまま電話した?!

 

はい、そうです。

応募後、あとから予習しましたけどね。

 

希望額7000万円だったでしょう?

あれって、予習がなかったら7000万円希望でポーンと出せたのか…

他の志願者はよく何百万円とかが多かったじゃない。

7000万円ってのは当時の言葉で言うとなかなかマネー成立しないって予感ってのはあまり無かったの?

 

マネーの成立云々を考えてやれば、もう少し低くした方がってのもあったんですが、パン屋さんを1軒作るのに、その当時で大体2000万円必要だったんですね。

 

ですね、1500万円から2000万円くらいっておっしゃってましたもんね。

 

ちょうど僕は5年くらい経った時に、ある大きな100席くらいのレストランでパンを作る…

そのレストランがとてもパンを提供するのに良いお酒も楽しめる場所で、たまたまそこで働けたんです。

そのお店がちょうど1億だったんですよ。

 

1億だったんだ…

 

もちろんそれはお金持ちの社長さんがやってるところで自分は雇われたんですけど、そのイメージがあったので、どうしても希望額がちょっと豪華目になっちゃったかも知れませんね。ハイ。

 

なるほど

【裏話2】働いていた店の開業資金が1億円だったので、希望額7000万円と高くなってしまった!

今も昔もそうですが7000万ってそんなに簡単に出るお金じゃないですか?

 

もうあの断っていただいたのが本当の身の丈だと思います。

 

社長覚えてますか?!

ちょっと順番に言ってみてください

 

えっと、なにしろ29歳の僕に一番楔を打ちまくった堀之内さん…

あの社長が僕にとっては目の上のたんこぶじゃないですけど、喧嘩しようかって来られた感じだったのは本当にインパクトに残ってて…

あとは美空ひばりさんの所の加藤社長と、なんでんかんでんの川原社長と、大阪王将の文野社長…

何かパンチがあって覚えてまいますね。

 

あと一人は?

 

あと一人…

 

僕の方が覚えてるよ、貞廣さんだよ。

 

あっ、そうでしたか。ゴメンナサイもう。

 

僕も見返してみたんですけど、貞廣さんが会話がゼロなんですよ、番組で。

たぶん途中喋ってらっしゃるんですけど、編集上で貞廣さんがひと言も発してないんですね。

 

そうでしたか

 

なので印象がないんでしょうねきっと。

僕も見返して見てて、凄かったよね、堀之内さんの?!

 

46歳になった今の僕だったら、まだもうちょっと言い返せてたかも知れませんが、29歳だった僕にはちょっと言い返せなかったかな。

 

堀之内さんって、いろんな方の時にも同じようにいろんなことを仰いますけど、特にあの回は今見返して見ても

「なんでここまで堀之内さん言うんだろう…」


っていうくらい凄かった。

 

そうですね。

 

途中まで一番たぶん好印象を持ってらっしゃったのは、赤い眼鏡の文野さんでしたよね。

あと川原さんも「これはウマイ!!」と言ったんですよ。

 

パンは。

 

これは言っていたんだけど最後「僕キミのこと嫌い」って言いましたよね。

 

まさか主観で断られるとは思わなかったです。プレゼン番組なんですけど。

 

本当ですよね。

 

まあでも堀之内さんがああやって仰ったことに対して何かこう真摯にお答えになっていたというよりかは、割と腹に一物持ちながら、何言っとんだこのオヤジみたいな気持ちも持ちながら言葉を選びながら喋ってたような感覚がありましたけどどうですか?

今10何年経って振り返ってみると、その当時僕も弁が無かったですし、堀之内社長を理解が出来なかったんですけど、やっぱり僕のおしゃべりの中で、やっぱり世の中に無かったものでしたから、社長さん達に意図が伝わらなかったというのはちょっと反省だと思うんです。

 

【裏話3】新しいモノだった故に社長達に意図が伝わらなかったと感じている!

 

堀之内社長さんはあの当時、確かパン屋さんも事業としてやってらっしゃったんですよ。

生活倉庫と同時に、その一部でパン屋さんを併設してやっているのを聞いてましたので、そのテイクアウトのパンっていうのからすると、ちょっと余りにも逸脱した理解できない話だったのを上手く伝えられなかったのは、これ僕の悪いところです。

 

【裏話4】堀之内社長も当時パン屋の事業もやっていた!

割と謙虚ですね?!

 

…と思います

 

終わった後はどんな気持ちでした?

 

あの当時は、全国放送のテレビということもありましたし、29歳の今までの10年を吐き出したっていうことでスッキリしたところもあるんですけども、こんなに赤の他人に思いの他否定されたのは、ちょっとはショックでしたね。

ちょっと立ち直るのは時間が掛かりました。

 

そうですよね。

あの当時僕も出てましたけど、やっぱりその志願者の方に対する人格否定みたいなのが凄いあったんですよ。

 

ハイ(笑)

 

僕はそういうことをする社長が凄く嫌いだったんで、結構社長に食いついて喧嘩してましたよね。

 

そうですか。

 

僕ね、僕が出てたらどうしてただろうと思って見てたんですよ。

でも7000万は出せなかった。

これは、あなたのアイディアどうのこうのじゃなくて、あの時に7000万出すような力は僕には無かったっていう意味です。

でもいくらかは出してたような気がしますね。

 

そうですか。ありがとうございます。

 

内村さんのキャラクターは立ってましたけど、そこまで言われるようなことじゃねーよ!って凄く思ってましたので。

やっぱ落ち込んだんですね?

 

落ち込みましたね。

あの後のツレとのご飯は味が覚えてないですね。

 

【裏話4】収録後の落ち込みで食べたご飯の味が覚えていないほどだった!

あれだけ全国ネットの番組に流れちゃったわけですから、あれからも何か指差されたりとかしました?アイツだみたいな。

 

もちろん後に指差されるというよりかは、その後にお店を立ち上げてからですね。

パンの耳のお店を立ち上げてから、やはり見てらっしゃった方から、いろいろお話をいただいたのはありますが、あの当時はショップなり事務所なり何も無かったものですから、後ろ指差される僕がどこにいるか分かってないという感じでしたね。

 

なるほど。

それから今日までもう17年が経ったわけですけども、今の内村さんのお仕事をご紹介いただきたいんですけど。

どんなお仕事をされているんですか?

 

ショップももちろんやったんですけど…

お店を立ち上げて3年くらいやって、そこからパン教室をやろうと思ったんです。

 

【裏話5】自身でお店のパン屋さんを開業して3年経営した!

 

パン教室というと趣味の方を対象にやる、これも大事なお客様ですのでこれもやりますが、そうじゃなくて何年もお店で修行しなくても自身でお店をやりたいという方が、若い方やまた定年退職をした方たちが世の中に沢山いらっしゃると…

例えばですけど10何年も修行したパン屋さんにその方が行って「パン屋さんをやりたいんです」と言ったら「10年かかるよ!」と言われてしまったら、相当時間を食いますので、それを短い時間、1年も経たず半年も経たずでお店を出すやり方を考えて伝えたいなと思って、そのパン教室で一般の方プラスそういったお客様も…

また実際にお店をやってるんだけどなかなか上手くいかない経営が上手くいかないという方の相談窓口を…

全部マンツーマンの貸切でやってるんです。

 

なるほど。

また例えて言うならば、美容院とかネイルサロンとかが、予約があればその人のためにその時間だけやりますよというそういう感覚でいいんですか?

 

はい、そうです。

 

【裏話6】マンツーマンで教えてくれる予約制のパン作り教室を現在やっている!

そうすると、今ショップでパンを売っているわけではなくて、マンツーマンでその人のためだけに内村さんの時間を費やしているってことなんですか?そうなんでよね?

 

ハイ!

 

こういう形になったのは何年前なんですか?

 

今から15年くらい前ですね

 

個人でやってらっしゃるんですよね?

 

会社は法人になってるんですけど、電話番・製造・洗物、全部1人でやっています。

 

じゃあ15年間ずっと一人でやってらっしゃるってことですね。

 

はい、そうです。

 

今までの15年というのはご自身の中でどうでしたか?あっという間でしたか?

 

いろんなお客様とパンを作ってて出会えないお客様と多く会えますので、時間的には長かったと感じます。

 

大学は京都の立命館ですよね?

大学辞めて一番最初に就いた職業は何でしたっけ?

 

一番最初に就いた仕事がパン屋さんなんです。

 

なんでパン屋さんに行こうと思ったんですか?

 

僕も不思議なんですが、その当時の僕は学校の先生になりたかったんです。

 

【裏話7】学校の先生になりたかった!

 

大学で教わる内容と浪人生の時に一生懸命勉強したのとのギャップが余りにありすぎて、大学行くよりアルバイトをして大人と接点を持つことがとても面白くなっちゃったんです。

それで大学にあまり行かなくなっちゃって、これじゃあ学校の先生になるにしても子供たちに説得力がある言葉が言えないなと。

ちょっとダラダラする僕がいたので。

これアカンと。朝から晩までしっかり働かなきゃアカンと、それで思いついたのが豆腐屋とパン屋だったんですよ。

それだけだったんです。

 

【裏話8】ダラダラした自分を追い込むためにパン屋さんになった!

凄い分かる。豆腐屋とパン屋がそういうイメージがあるもん。

 

社会人経験が無いからそれしか思いつかなかったんです。

パン屋が募集していたからおパン屋さんの門を叩いたんです。

豆腐屋が募集していたら豆腐屋さんになってました僕。

 

【裏話9】豆腐屋が募集していたら豆腐屋になっていた!

修行しようと思ったんだ!?

 

お店をやりたいというよりも、とりあえず朝から晩まで酷使して働くってことをやろうと。それだけです。

 

人生って分かんないよね。

お一人でずっと15年やってこられた、そういう経験が逆に僕にはないので、どんな15年だったって思いを馳せるんですけど、やっぱりパンが好きですか?

 

食べるのは実はあんまり好きじゃないです。

 

そうなんですか!作るのが好きであって。

【裏話10】パンを食べることは余り好きではない!

 

パン作りを教えて改善されるお客様が好きなんです。

 

朝も昼もパン食べない?

 

食べないです。試食では散々食べますが。

 

今日はどうもありがとうございました。

 

パンパンサラダパンの内村さんがオーナーの京都市にあるパン教室「パンの耳」公式HP
http://www.pannomimi.co.jp/

 

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